
- タイトル:トッカイ 不良債権特別回収部
- 著者名:清武英利
- 出版社:講談社
あらすじ:狂乱のバブル経済崩壊後の「失われた20年」のさなか、日本中の不良債権取り立てに奮闘する国策会社=整理回収機構。そこで働く面々は、その多くがバブル崩壊で破綻した金融機関の出身者たちだった。借り手の側から取り立てる側へ――将棋の「奪り駒」のように回収の最前線に打ち込まれた者たちは、バブル経済に踊った怪商、借金王、ヤクザらと対峙し、でジワジワと追い詰めていく。泥沼の債権回収に奮闘した、男たちの物語。
「家族を大切に」という言葉は、どこにでもある。育児書にも、SNSにも、パートナーシップ講座にも。そしてたいていの場合、それは正しい。家族は大切にすべきだ。夫婦の関係は丁寧に育てるべきだ。子どもとの時間は何より優先すべきだ。
そう、みんなそう言う。わたしもそう思っていた。
でも最近、少しちがう角度から考えるようになっている。家族を大切にすること、それはゴールではないかもしれない、と。
ドラマ『トッカイ』のラストスピーチが、ずっと頭に残っている。金融機関は社会を「支えているだけ」だ。でも、その誇りを持て、と。主役でなくていい。縁の下でいい。それでも、社会という大きな動きを支える基盤として、自分の仕事に誇りを持て、という言葉だった。
そのとき、ふと思った。家族も、そういうものじゃないか、と。
家族は、ポケモンセンターでいい
家族というのは、社会に出るための回復拠点なのかもしれない。ポケモンで言えば、ポケモンセンターだ。傷ついて帰ってきて、回復して、また世界に出ていく。その繰り返しを支える場所。
育児コミュニティで日本の子育て事情を知るようになって、そう感じるようになった。夫婦が消耗している家庭では、子どもも消耗する。親が社会で動けなくなれば、社会そのものが少しずつ動かなくなる。家庭の不健全さは、ミクロの問題ではなく、社会のインフラの問題だ。
だから、夫婦で揉めてる場合じゃない。さっさと回復して、社会に出ていかんかい、と思う。それくらい、家庭の健全さは大事だと、本気で思っている。
じゃあ、自分はどうなんだ
と、ここまで書いて、立ち止まる。
「家庭をポケモンセンターにしろ」と言えるほど、自分の家庭はちゃんと機能しているのか。夫婦のコミュニケーションは、回復を生んでいるか。子どもたちは、安心して傷つけているか。わたし自身は、誰かの回復を支えているか。
正直に言えば、厳しい。
社会課題を語る自分が、いちばん身近な場所でどれだけ動けているのか。「日本の育児を変えたい」という使命感の裏側で、自分の家庭は後回しになっていないか。そういう問いが、するりと入ってくる。
人間万事塞翁が馬、でも
同じくドラマの中に出てきた言葉、「人間万事塞翁が馬」。何がよくて何が悪いか、そのときにはわからない。育児のしんどさも、夫婦のすれちがいも、長い目で見ればどこかにつながっているかもしれない。だから焦らなくていい、という解釈もできる。
そうだと思う。育児している人間には特に、この言葉は染みる。思い通りにならない毎日の中で、それでも何かを信じて続けるための言葉だ。
ただ、「塞翁が馬」を言い訳にしてはいけないとも思う。今の揉め事も、今のすれちがいも、「まあいつか解決するやろ」で流せるものではない。家庭がポケモンセンターとして機能するためには、意図的に整える時間と言葉と行動が要る。
40にして惑わず。孔子のその言葉も、ドラマの中で響いた。惑わなくなった、という感覚はある。やること、やらないことが、少しずつ見えてきた。「今世でやること」という言葉が、自然に口から出るようになった。
でも、惑わないことと、ちゃんとやることは、別の話だ。使命が見えたとしても、いちばん近くにいる人たちへの言葉と行動は、毎日新しく問われる。
社会を支えたい、と思っている。その気持ちは本物だと思う。だからこそ、足元を問い続けなければならないのかもしれない。
自分への切実な問い
「社会を支えたい」と言うとき、自分の家庭というポケモンセンターは、今日ちゃんと機能しているだろうか?





