
- タイトル:リバース
- 著者名:湊かなえ
- 出版社:講談社
あらすじ:深瀬和久は平凡なサラリーマン。唯一の趣味は、美味しいコーヒーを淹れる事だ。そんな深瀬が自宅以外でリラックスできる場所といえば、自宅近所にあるクローバーコーヒーだった。ある日、深瀬はそこで、越智美穂子という女性と出会う。その後何度か店で会ううちに、付き合うようになる。淡々とした日々が急に華やぎはじめ、未来のことも考え始めた矢先、美穂子にある告発文が届く。そこには「深瀬和久は人殺しだ」と書かれていた――。何のことかと詰め寄る美穂子。深瀬には、人には隠していたある“闇”があった。それをついに明かさねばならない時が来てしまったのかと、懊悩する。
「知らなかった」は、免罪符になるのか
人を傷つけてしまったとき、「知らなかった」という言葉は、自分を守る盾になりうる。
法律もそう判断するし、周囲の人もそう言ってくれるかもしれない。悪意がなければ、罪にはならない。それは正しい。
正しい、のだけど。
ゾッとする、という感覚
湊かなえの『リバース』には、そういうシーンがある。
知らずに渡したものが、結果として誰かを傷つけてしまう。渡した側に殺意はない。過失もぎりぎり問えないかもしれない。
でも、渡した本人は、ゾッとするのではないだろうか。
その「ゾッとする」という感覚を、うまく言語化できないままでいた。
罪ではない、でも何かが残る。その「何か」に、なかなか名前がつけられなかった。
「知らなかった」と「知ろうとしなかった」の間
物語の主人公も、同じ問いの前に立っている。
仲良く遊んでいたはずなのに、知らなかった。でも、全部知ることなんてできない。妻のことだって、分からないことはある。本人でさえ、自分のことを完全には把握していない。
それは本当のことだ。
だから「知らなかった」ことを責めても仕方ない、という理屈はわかる。
わかるのだけど、もう一歩手前に、別の問いがある気がした。
彼がふと漏らした一言を、そのまま流してしまった。
「なんで?」と聞けていたら——そう考えたとき、これは「知らなかった」の話ではなくなる。「もう一歩踏み込めたかもしれなかった」という後悔に変わる。
愛情があるから、痛い
その後悔は、相手を大切に思っていたからこそ生まれる。
どうでもいい相手のことは、踏み込めなかったとしても後悔しない。
踏み込めばよかった、と思えるのは、その人のことが気になっていたからで、関係を深めたかったからで、もっと知りたかったからだ。
だとすれば、この種の後悔は、愛情の裏返しかもしれない。
そう考えると、少し息ができる気がした。
でも、割り切れるかというと
かといって、「愛情があったんだから仕方ない」で終わるかというと、そうでもない。
結果として誰かが傷ついている。それは変わらない。
後悔を「愛情の証拠」と言い換えることで、その痛みを薄めようとしているだけじゃないか、という気もする。
「辛いよな、これは」という感覚は、合理化でどうにかなるものでもないかもしれない。
それでも、踏み込む理由
でも、だからこそ。
後悔の種類が「知らなかった」より「踏み込めなかった」の方に寄っている方が、まだましな気がする。
知れないことは、確かにある。でも、聞けたかもしれないことは、ある。
ふと漏れた一言の奥に、もう一歩入っていく習慣。
それは、相手を守るためでもあるけれど、もしかしたら、未来の自分がゾッとしないためでもあるのかもしれない。
割り切れる自信は、正直ない。
それでも、踏み込むことをやめたくないとは思う。その理由が、怖さからなのか、愛情からなのかは、まだよくわからないけれど。
切実な問い
相手の行動や言葉の裏側にある背景を、自分は感じ取ろうとしているだろうか。そして、感じ取ったとき、その人を守るために、何かできているだろうか。






