FIXER

  • タイトル:FIXER

あらすじ:ある夜、現職の総理大臣を乗せた車が事故に遭い、総理は意識不明の重体となる。死亡した運転手には飲酒運転の疑いがかけられ、新薬認可を巡る密約の噂もささやかれる中、真相解明に奔走する総理秘書官に近づく一人の男がいた。それが“フィクサー”と呼ばれる謎の男・設楽拳一(唐沢寿明)である。事故の裏で彼が何を企て、何を目的に暗躍しているのか?




目次

主要人物の相関図

物語の中心にいるのは、設楽拳一というフィクサーである。 彼の前に立つのが、長年政界を裏から操ってきた本郷吾一という老獪な存在だ。 二人は若手と重鎮、という構図でありながら、根のところで似た匂いを持っている。

本郷の傍らには副総理の須崎一郎がいて、昵懇の仲として動く。 一方、設楽の傍らには秘書兼運転手の丸岡慎之介がいて、見返りを求めない忠誠を見せる。 同じ「右腕」という立場でも、その関係性の質はまるで違う。

そしてこの権力構造の外側にいるのが、新聞記者の渡辺達哉である。 利害でつながる者たちの世界を、利害を持たない立場から見つめ続ける存在だ。 誰が味方で誰が敵か分からなくなる中、渡辺の存在だけが、ある種の基準点になっている。

本郷吾一
伝説のフィクサー
↓ 支配・操る
須崎一郎
副総理
↓ 対立・牽制
設楽拳一
フィクサー
⇄ 信頼
丸岡慎之介
秘書兼運転手
↓ 接触・情報交換
渡辺達哉
新聞記者

根回しは悪なのか

根回しという言葉には、どこか悪いイメージがまとわりついている。会議の前にこっそり話をつける、誰かに媚びを売る、上に取り入る。そういう光景を思い浮かべる人は多いだろう。だから根回しなんてしない方がいい、正面からぶつかればいい、と考えるのが一般的な感覚かもしれない。

ドラマ『フィクサー』を見て、その感覚は少し揺れた。


根回しそのものは、悪くないのかもしれない

根回しが必要な場面は、たしかにある。物事を円滑に進めるための調整は、組織やコミュニティを動かす上で欠かせない。問題は根回しという行為そのものではなく、その奥にある気持ちの方向ではないか。そんなことを思った。

誰かのために動くのか、自分のために動くのか。同じ根回しでも、その違いひとつで、まったく別のものに見えてくる。


仲間ができてから、期待しなくなった

パパ育コミュに入った当初、正直に言うと見込み客が見つかればという気持ちが少しあった。研修講師という仕事をしている以上、そういう打算がゼロだったとは言えない。

けれど今、その期待はすっかり消えている。理由を考えてみると、一緒に活動したい仲間ができたからだという気がする。見返りを求めなくても、そこにいたいと思える relationship ができた。そうなると、自分が得られるかどうかは、いつのまにか気にならなくなっていた。


そうは言っても、見返りを求めるのは自然なことでは

とはいえ、見返りを求めること自体が悪いとは言えないだろう。誰しも何かしらの期待を持って動く。育児コミュニティに限らず、仕事でも人間関係でも、完全に見返りを捨てて動ける人なんてそう多くない。

『フィクサー』に出てくる政治屋たちも、最初から見返りだけを求めて動いていたわけではないかもしれない。気づいたら、それが当たり前になっていただけなのかもしれない。


それでも、仲間がいるかどうかは違う

かと言って、見返りを求めることと、孤独であることは、やっぱり地続きな気がしてしまう。

ドラマの設楽や本郷を見ていて感じたのは、彼らの周りには利権でつながった人間しかいないということだった。信頼できる相手、見返りなしで一緒にいたいと思える相手が、誰もいない。それはきっと孤独なことだ。

自分にも仲間ができる前は、その孤独に近づいていた可能性があったのだろうか。そう考えてみても、今はどこか縁遠い話に感じてしまう。仲間がいる、という状態に、すでに慣れてしまっているからかもしれない。


見返りを手放せるかどうかは、結局そこに尽きる

結局、見返りを求めるかどうかの境目は、隣に誰がいるかで決まるのかもしれない。一人で利権を抱えていれば、それを手放す理由がない。仲間がいれば、いつのまにか手放せている。

政治の世界がどうなのかは分からない。けれど少なくとも自分の身の回りでは、そう感じている。

自分への切実な問い

自分も、本質を忘れて根回しばかりしてしまってはいないだろうか

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