
- タイトル:フェンス
あらすじ:雑誌ライターのキーこと小松綺絵(松岡茉優)は、米兵による性的暴行事件の被害を訴えるブラックミックスの女性・大嶺桜(宮本エリアナ)を取材するために沖縄へ向かう。桜の供述には不審な点があり、事件の背景を探る必要があったのだ。米軍基地の門前町・通称コザを訪ね、桜の経営するカフェバーMOAIへ行き、観光客を装って接近。桜の祖母・大嶺ヨシ(吉田妙子)が沖縄戦体験者で平和運動に参加していることや、父親が米軍人であることを聞く。やがて、沖縄の複雑な事情が絡み合った“ある真相”にたどり着く。キーが見つけた事件の真相とは?!
「沖縄問題」という言葉の、心地よい嘘
沖縄の基地問題、と聞くと、多くの人は「沖縄の人たちが大変そうだ」と思う。遠い南の島の、複雑な歴史の話。自分の生活とは少し離れた、でも気になる社会問題。そういう距離感で眺めてきた人が、たぶん大半だと思う。
自分もそうだった。
これは日本の問題だ
『フェンス』を読んで、最初に揺らいだのはそこだった。沖縄の問題ではない、これは日本全体の問題だ、という感覚。言葉にすれば単純だけれど、腹に落ちるまでには少し時間がかかった。
NIMBYという言葉がある。「Not In My Back Yard」の略で、「必要だとは思うけど、自分の近くには来てほしくない」という心理のことだ。原発でも、ゴミ処理場でも、よく使われる言葉。そして、基地も、たぶんそうだ。
日本の安全保障には必要だと、どこかで思っている。でも自分の街には、いらない。その「どこか遠くでやってくれ」という気持ちを、沖縄が何十年も引き受けてきた。
知っていた、でも知らなかった
米軍による事件や事故のことは、断片的には知っていた。レイプ事件が起きても、容疑者が基地に戻れば日本の警察は逮捕できない。そういう話も、頭のどこかにはあった。
でも、フェンスの向こう側で生きている人たちのことは、知らなかった。基地の近くで暮らし、騒音の中で眠り、複雑な感情を抱えながら日常を送っている人たちの、輪郭すら見えていなかった。
情報として知っていることと、人として知っていることは、全然ちがう。そのことを、この本は静かに突きつけてくる。
アメリカ人という人間は、いない
もう一つ、揺らいだことがある。「アメリカ人」という括り方の粗さだ。
悪い米兵のイメージが、どこかに刷り込まれていた。でも実際には、問題を起こす人間もいれば、沖縄の人たちと深く関わり、誠実に生きようとしているアメリカ人もいる。日本人だって、ひどいことをする人間はいるし、誠実な人間もいる。国籍で人を束ねるとき、何かが見えなくなる。
「アメリカ軍」と「アメリカ人」は、ちがう。構造の問題と、個人の問題は、切り分けて考える必要があるのかもしれない。
ゆいまーるの、光と影
沖縄にはゆいまーるという言葉がある。助け合い、共同体を大切にする文化だ。その精神があったからこそ、過酷な状況の中でも人々は生きてきた、という側面がある。
でも一方で、その協調性や、なんくるないさーという鷹揚さが、問題をなあなあにさせてきた部分もあるかもしれない、と思った。もし沖縄の人たちが、もっと声高に、もっと激しく抵抗し続けていたら、今とは違う状況になっていたかもしれない。
ただ、これはすぐに引っかかる。優しさや協調性を、搾取される側の原因として語ることへの、気持ち悪さ。問題の構造を作ったのは誰か、という問いから目をそらすことになりはしないか。
それでも基地は、そこにある
もう一つの現実もある。中国やロシアの動向を見るとき、日本の安全保障における米軍の存在は、単純に「悪」とは言い切れない。基地があるから、今この島が攻められていないという側面も、たぶんある。
だから「基地はなくなればいい」とも、簡単には言えない。言えないまま、でも現状でいいとも思えない。そのどちらにも着地できない感覚の中に、この問題の本質があるような気がする。
きれいに整理できないことを、整理できないまま持っている。それが今の自分の正直な場所だ。
後悔、という感覚
この本を読んで、初めて「後悔している」と思った。知ろうとしてこなかったことへの、後悔。沖縄の問題だと思って、自分の問題として引き受けてこなかったことへの、後悔。
でも、後悔したところで何かが変わるわけでもない。じゃあ何ができるか、と考えると、すぐには答えが出ない。投票行動を変えることなのか、誰かに話すことなのか、また本を読むことなのか。
ただ、少なくとも「沖縄の問題」という言葉を使うのを、やめようと思った。それだけは、今日から変えられる。
自分の幸せは…
自分の幸せは、誰のおかげで成り立っているのか。そのことに、もっと思いを馳せるには、どうしたらいいのだろうか?





