
- タイトル:廃用身
- 著者名:久坂部羊
- 出版社:幻冬舎
あらすじ:廃用身とは麻痺して動かず回復しない手足をいう。患者の同意の下、廃用身を次々と切断する医師漆原。告発するマスコミ。はたして漆原は悪魔か?『破裂』の久坂部羊の衝撃的な小説デビュー作。
「正しい介護」などというものは、たぶん存在しない
介護というものは、愛情と献身で乗り越えられる、と思っていた。
少なくとも、そういうトーンの話をよく聞いてきた。
家族が支え合って、みんなで頑張って、最後は「よくやった」と言い合える——そういう絵を、どこかで信じていた。
ゾッとした、という感覚
『廃用身』を読んで、ゾッとした。
怖い話だから、ではない。
描かれていることが、リアルだったから。
医師は、患者のために最善を尽くそうとする。
家族は、愛する人の苦しみを終わらせたいと思う。
介護士は、限界を超えながらも現場に立ち続ける。
誰も、悪くない。
それなのに、全員が追い詰められていく。
妥協点が、どこにもない。
「他人事」が、じわじわと「自分事」になっていく
正直に言うと、介護はまだ「リアルでないもの」だった。
祖父が家にいて、ヘルパーが来ていた記憶はある。
もう一人の祖父が、認知症で施設に移った記憶もある。
でもそれは、どこか「大人たちの問題」として処理されていた。
この本を読みながら、ふと思った。
両親も、義父母も、そろそろその年齢に差し掛かってきている。
30年後どころか、明日の事故や病気で、そうなることだってある。
「リアルでない」という感覚が、読み進めるうちにじわじわと崩れていった。
ルールでは、決められない
こういう問題に直面すると、誰かが「正解」を決めてくれればいいのに、と思う。
法律でも、医療ガイドラインでも、家族会議のフォーマットでも——何か、よりどころになるものがあれば。
そう思うのは、自然なことだと思う。
でも、この本が描いていたのは、そのよりどころが機能しない場所だった。
「他人に迷惑をかけたくない」という本人の気持ち。
「苦しませたくない」という家族の気持ち。
「できる限り生かしたい」という医師の使命感。
それぞれが、それぞれに誠実で——だからこそ、ぶつかる。
一人一人と、話し合って、決めていくしかない。
そんな当たり前のことが、圧倒的なリソース不足の前では、途方もなく難しい。
「向き合う」とは、どういうことか
「それでも一人一人と向き合うしかない」と言うのは、簡単だ。
でも、その「向き合う」の中身を、自分はどれだけ考えたことがあるだろうか。
相手の意思を聞くこと。
自分の限界を把握しておくこと。
家族の中で、事前に話し合っておくこと。
どれも、「いつかやろう」と先送りにしがちなことばかりだ。
でも、この本を読んで思った——「いつか」は、たぶん突然終わる。
正解がない問題に向き合うとは、正解を探すことではないのかもしれない。
ただ、その問いから逃げないでいること——そういうことなのかもしれない、と感じている。
今回の切実な問いは何にしますか?
候補としては——
• 「わたしは、大切な人の『迷惑をかけたくない』という気持ちを、ちゃんと聞けるだろうか」
• 「正解のない問いから、自分は逃げていないか」
• 「『向き合う』と言いながら、何も準備していないのではないか」
にったんの言葉で決めてもらえると、より記事らしくなります。
ありがとうございます。では、締めを追加しますね。
自分への切実な問い
「向き合う」と言いながら、自分は何も準備していないのではないか。





