ご相談内容
幼い娘に「運動が得意だね」と声をかけたところ、妻や義母から指摘を受けました。まだ言葉の意味を正しく理解していない年齢で、周りには自慢に聞こえてしまうし、本人にとってもよくないのでは、とのことでした。
私としては、言葉は使いながら覚えていくものだと思っていますし、実際に得意なら堂々と言えばいいと感じています。でも、義母や妻は「波風を立てたくない」のかもしれません。
褒めることがそんなにいけないことなのか、正直戸惑っています。
にったんさんは、どうされていますか?
にったんの回答
褒めたい気持ちは本人に直接伝えず、夫婦の会話の中で共有する
『嫌われる勇気』という本に教えてもらったことですが、私は基本的に直接本人を褒めないように努めています。褒めたくなったら、「Aちゃんは運動が得意やなぁ!」とか、妻と二人のときに言うようにしています。
運動が得意であることで父親の注意を引きつけられたと思ってしまうと、「得意であらねばならない」「失敗できない」と感じて、親の顔を気にする人になるかもしれないと危惧するからです。当然、必ずしもそうなるわけではありませんが……。
また、「運動が得意だ」と褒める行為は、他人と比較して評価しているということでもあります。上から目線になりがちで、対等な関係であれば言いにくい言葉だと思います。上司に「仕事めっちゃできますやん」って言わないのと同じですね。
義母さんとは違う理由ですが、私はそんな感じで考えています。
あと、他の人の言うことは、角が立たないように参考にしておくぐらいでいいやん、と私は考えています。
うちの義母も「YouTubeみてたり、ゲームしてたらアホになるで」とか言われて、ムッとするときはあります(笑)
妻と話し合って、納得できればそれでいいな、としています。
参考になれば幸いです!
NLP的補足
アドラー心理学が教える「承認欲求」の危うさ
今回はアドラー心理学からの視点です。こちらのご相談に最も関連するのは「承認欲求」ですね。
認められたい、褒めてほしいという気持ちだけでなく、意識をこちらに向けてほしい、注目してほしいという意識的あるいは無意識的な気持ちのことです。
褒められようとする。褒められないなら怒られようとする。怒られることもなければ、もう期待しないでほしいと思う。可能性の中に生きたいと願う。それでも無理なら、もういっそ命を絶とう……。そこまでして注目を浴びること一色の人生になる可能性があります。
もちろん全員がそうなるわけではありません。でも親としては、そうなる可能性があるなら遠ざけたいし、幸せになってほしい。いや、これは親がどう幸せを捉えるか、に関わることかもしれませんね。
幸せになるには、一切の承認欲求を捨てること──アドラー心理学の権威、岸見先生のお言葉です。
まとめ
子どもを褒めたいという親心は、とても自然なものです。けれど、その「褒める」という行為が、子どもの中にどんな種を蒔くのか──少し立ち止まって考えてみることも大切かもしれません。
義母や妻からの指摘に戸惑う気持ちはよく分かります。ただ、理由は違っても「子どもの幸せを願っている」という点では、きっと同じ方向を向いているのではないでしょうか。
大切なのは、家族の中で対話を重ね、自分たちなりの「子どもへの関わり方」を見つけていくことだと思います。正解は一つではありません。夫婦で話し合い、納得できる形を探していけたらいいですね。
愛する人と生きていくーーその決断に勇気を。





