ありか

  • タイトル:ありか
  • 著者名:瀬尾まいこ 
  • 出版社:水鈴社

あらすじ:母親との関係に悩みながらも、一人娘のひかりを慈しみ育てる、シングルマザーの美空。
義弟で同性のことが好きな颯斗は、兄と美空が離婚した後も、何かと二人の世話を焼こうとするがーー。

目次

「育ててやった」という感覚は、親になればわかる

子育てとは、見返りを求めてはいけないものだ、と言われている。

愛情は無条件であるべきで、感謝を期待するのは親のエゴだ、と。
そういう言葉を、育児書や子育てアカウントで何度も目にしてきた。

たぶん、正しい。
頭ではそう思っている。

でも、瀬尾まいこの『ありか』を読んでいたら、主人公の母親の言動に、妙にリアルなものを感じてしまった。

「私がどれだけやってやったと思ってるの」
「お金を貸してちょうだい」
自分の感情や都合を、子どもへの愛情と混同してしまっている。
読みながら、ちょっとだけ、身に覚えがある気がした。

毒親の気持ちが、わかってしまう

自分が毒親だとは思っていない。
そう思いたい。

でも、こんだけ大変な思いをして育てているのに、子どもに社交辞令程度の感謝しか返ってこなかったら、
腹が立つ。腹が立つんだ。

子どもが思い通りにならないとき、ちゃんと言うことを聞いてほしいという気持ちが出てくる瞬間は、ある。
それを「管理したい」と呼ぶなら、自分にもその衝動はある。

主人公の母は、その衝動に負け続けた人なのかもしれない。
そして、負けるのは、案外簡単なのだ。

イージーモードの誘惑

感情をぶつけるのは、簡単だ。

怒る、責める、見返りを求める。
そのどれも、エネルギーはいるけれど、難しくはない。
むしろ、自分の感情に正直なだけで、抑制するほうがよっぽど難しい。

自分がしんどいときに、相手への貢献を考えること。
ストライクゾーンを外れた子どもを、それでも応援すること。
見返りを期待せずに、そこに幸せを見出すこと。

それは難しいし、難しいからこそ面白い、と思いたい。
思いたい、と書いたのは、まだ完全にはそう思えていないからだ。

「でも、そうはいっても」という現実

貢献することに喜びを見出せればいい、とはわかっている。

でも、毎日の育児の中で、その「喜び」を内側から絞り出すのは、理論ほど簡単ではない。
疲れているとき、余裕がないとき、子どもが思い通りに動かないとき。

そういうときに、「貢献が喜びです」と言える人間が、果たしてどれだけいるのだろう。
むしろ、そう言えない自分を責めることで、また別の歪みが生まれる気もする。

主人公の母親も、最初から毒親だったわけじゃないかもしれない。
積み重なった余裕のなさが、やがてああいう形になっただけかもしれない、と思うと、
少し怖くなった。

それでも、手放したくない感覚

完璧にはできなくていい、と思っている。

でも、「貢献することに喜びを見出したい」という感覚だけは、手放したくない。
これは理想論じゃなくて、自分がどう生きたいかの話だから。

子どもが自分のストライクゾーンを外れたとき、それでも応援できるか。
それは今の自分には、まだ自信を持って言えない。

でも、その問いを持ち続けること自体が、何かを変えるような気もしている。
少なくとも、問いを捨てた瞬間に、何かが終わる気がする。

自分への切実な問い

子どもが自分の期待から外れたとき、それでも本当に応援できるだろうか?

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次