「ゆらのとノート」の由来

 いつも私のブログを拝読していただいてありがとうございます。まだ記事を読んでいない方は、気が向いたら読んでみてくださいね。

 私なりの思いがあって、この「ゆらのとノート」というタイトルにしています。

「謙虚な姿勢で、思い切って行動しよう。そして、在り方も大事にしながら、同時に技巧の鍛錬も怠らないでいよう」

という思いです。 

 私は、どうしてもテクニックや知識に頼りがちになり、理論武装をして頭でっかちになりがちです。そのくせ、えらそうに虚勢を張り、強がりを言ってしまいます。

 だからといって、何も学ばず、自己流でいれば、それこそ自己満足ではないでしょうか。

 やるときはやる、考えるときは考える、進むときは進む…決して傲慢にならず、謙虚な姿勢で、一点を刺す…そんなあり方を心に留めておきたいのです。

 百人一首の四十六番歌を、ご存知でしょうか。

「由良の戸を 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな」

---曽禰好忠(そねのよしただ)

 「由良」は、京都から若狭湾に流れ出る一級河川の由良川のことです。河口周辺は、淡水と海水が出会うところで、水の流れは複雑に変化します。なので、小型の舟が河口を渡るには、相当の技量が必要です。

 そして、歌は「渡る船人かぢを絶え」と続きます。「絶え」というのは、消えるという意味で、つまり、河口のような操船の難しいところにいながら、かぢをなくしてしまっている状況を上の句で詠い、それを下の句で、深い霧の中を行くような「恋の道」とつなげているわけです。

 作者の曽禰好忠は、大変に優秀で、天才とも言える歌人でした。同時に、大変プライドの高い人物でもありました。

 こんな逸話が残っています。

 ある格式高い歌の集まりに、曽禰好忠は、招待もされていないのに、「私は招待されて当然の人物だ」と勘違いし、ちゃっかり招待席に座ってしまうのです。結果、会場から追い出されてしまいます。

 「かぢを絶えゆくへも知らぬ」となってしまったのは、歌のために我を張りすぎ、自分が見えなくなってしまった曽禰好忠本人だったのです。

 「恋の道」とありますが、実際に行方がわからなくなっていたのは、「人の道」だったのかもしれません。

 ひとつまえの四十五番歌と比較して考えましょう。

「あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな」

---謙徳公

 超訳すると、「あなたはまさか…私と付き合わないような、憐れでお気の毒な人なんかじゃあありませんよね。そんなことをしたら、あなたの人生は、ただむなしく死んでいくだけの人生になってしまいますよ」です。

 謙徳公は、普段は物静かで控えめな性格であったが、大事な女性に対しては、ものすごい強引さを発揮したわけです。「俺があなたを最高に幸せにしてさしあげる。その地自信がある!」という思いです。日ごろはおとなしい人物が言うからこそ、言葉に迫力と真実味が増します。

 さらに一つ前の、四十四番歌も見てみましょう。

「逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし」

 超訳すると、「男女関係など、この世からなくなってしまえば、相手のことも、自分のことも恨まずにすむのに…。でも、だからこそ恋愛は素晴らしい!男女が愛し合うことによって、時代は紡がれていくのだから。」

 一世を風靡した天才であっても、やがては老い、この世から消えていきます。後から生まれてくる人は、常に自分の前を歩いているのです。その謙虚さを忘れてはいけません。

 つまるところ、天狗になって、斬新な方法で歌を作っていたと勘違いし、得意げになり、「言葉遊びに終わっている」といわれた曽禰好忠でしたが、私は、態度と同時に、技術も大事だということも胸に留めておきたいのです。

 

 歯を治せない歯医者さんに、いくら情熱があっても、診察してもらいたいとは思わないのと同じようにーーー。

参考文献:ねずさんの日本の心で読み解く百人一首~千年の時を超えて明かされる真実~ 著:小名木善行

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