
- タイトル:世界99 上
- 著者名:村田沙耶香
- 出版社:集英社
あらすじ:
この世はすべて、世界に媚びるための祭り。
性格のない人間・如月空子。
彼女の特技は、〈呼応〉と〈トレース〉を駆使し、コミュニティごとにふさわしい人格を作りあげること。「安全」と「楽ちん」だけを指標にキャラクターを使い分け、日々を生き延びてきた。
空子の生きる世界には、ピョコルンがいる。
ふわふわの白い毛、つぶらな黒い目、甘い鳴き声、どこをとってもかわいい生き物。
当初はペットに過ぎない存在だったが、やがて技術が進み、ピョコルンがとある能力を備えたことで、世の中は様相を変え始める。
性欲は個人のものだと思っていた
一般的には、性欲や性的な好みは「個人の趣味嗜好」だと考えられている。誰を好きになるか、どんな行為に惹かれるかは、その人固有のものだという理解である。だからこそ、そこに違和感を覚えること自体、あまり想定されていないようにも感じる。
吐き気がしたのは、作品ではなく自分だった
けれど村田沙耶香の世界に触れて、そう単純ではないのかもしれないと思った。自分が自然だと思ってきた性欲の形や好みが、社会の構造や期待にかなり強く影響されているのではないかと感じた。読んでいる途中、吐き気に近い感覚が湧いたのは、その気づきが自分自身に向いてきたからだと思う。
男女で背負っている「性のリスク」は同じではない
とくに引っかかったのは、男女で背負っている性のリスクの非対称さだった。妊娠や出産という現実的な負担を考えると、女性側が性的行為に慎重になるのは自然だと思えてくる。身体の内部に何かを受け入れること自体の負担も含め、リスクの質がまったく違う。
望んでいない行為が「好み」にすり替わる怖さ
その差の中で、女性が「早く終わらせるため」に相手を喜ばせる振る舞いを身につけていくという構造は、頭で理解できても感情としてはかなり重い。望んでいないことを繰り返すうちに、それが自分の欲望だと錯覚してしまうかもしれない。そうして自分が何を求めているのか分からなくなる感覚は、想像するだけで息苦しい。
悪意はなくても、野蛮さは残る
多くの男性は、相手を性処理の道具として見ているつもりはないと思う。愛しているという実感も、誠実な気持ちも本物だろう。それでも「自分がしたいから迫る」という行為の中には、野蛮さが混じる。その事実から目を逸らしてきた自分にも、気づかされるものがあった。
妻との関係に引き戻される違和感
この感覚は、他人事では終わらない。妻との関係にも、そのままつながってくる。同意があれば問題ない、夫婦なのだから自然だ、そう言い切る前に、相手が何を感じているのかを本当に想像してきただろうか。そう考え始めると、胸の奥がざわついた。
社会から一度、距離を取るしかない
では、どうすればいいのかと問われると、はっきりした答えは出ない。ただ、社会の中で刷り込まれてきた男らしさや女らしさから一度距離を取り、何が嫌で、何を求めているのかを言葉にし続けるしかないのだと思う。面倒で、気まずくて、正解のない作業である。
気づいてしまった以上、戻れない
それでも、その対話を避けたまま関係を続けるよりは、まだましなのかもしれない。自分の中にあるおぞましさに気づいてしまった以上、なかったことにはできない。この違和感を抱えたまま、どこまで誠実でいられるのか。その問いだけが、静かに残っている。


