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【お悩み相談内容】共働きで求められる家事分担、私は足りていないのか?
共働きです。当方フルタイム・妻は時短。
当方営業職で、担当市場まで自宅からも会社からも1.5hかかります。職務柄、朝7〜8時台や18時以降のアポもあります。勤務時間は基本9〜17時半、FLEXタイム採用しているので早上がりも可(その分どこかで担保)
市場から直帰可能も、市場から自宅間は業務扱いとはなりません。
帰宅時間は大体19時〜19時半の間です。
帰宅後は既に妻と子どもがご飯を食べ終える頃なので、皿洗い→子どもの風呂上がり→寝かしつけ→9時頃に一人晩御飯を食べる、のルーティン。頻繁ではないですが、妻が疲れている時などは子どもを風呂に入れて上げて寝かしつけもしています。上記のような感じですが、妻からは早く帰ってきて家のことをやってほしい、と言われます。
やってない訳じゃない・毎日内勤する訳ではない・業務上アポ時間も様々・超勤も多々ある…など何回も言っていますが全然理解してくれません。定時上がりできるものと思っている節すら感じます。
妻も仕事を終えてからお迎え→晩御飯の用意・その他家のことをやってくれていることに感謝はしています。が、私が何もしていないような口ぶり、全部私がやっているとまで口癖の如く言われます。
出来る限りのことはしているつもりですが、それ以上のことを求められても出来ることに限界があります。稼ぎに直結する話になると伝えても、まるで納得はしておりません。周囲にこのことを話すと、厳しすぎるという反応が多いですが、実際のところどうなのでしょう。
ちょっと、私自身も疲弊しきっています。
にったんの回答:平等を求めすぎると苦しくなる理由
これはなかなか大変な状態ですね。私も同じような状況になったことがあるので、とてもよくわかります。私の場合、やりたかった仕事を辞めてまで事務方の仕事に転職し、残業や土日出勤がないところに転職したにも関わらず「もっとやって欲しい」「何もやってくれない」と散々言われて、育児ノイローゼになった経験があります。
この時、二人の間に流れていた空気感は「平等でなければいけない」という思い込みだったのかもしれません。どちらがどれぐらい家事や育児をしたか、どれぐらい仕事を頑張っているかなど、数値に置き換えられそうなもので均等にしようとすると、どうしても行き詰まります。
同じ「掃除」という単語でも、嫌いな人からすれば負荷が高く、どうでもいい人にとっては負荷を感じません。数値化できないものも必ず存在します。特に子どもが生まれた夫婦の場合、関係が近くなりすぎて「自分の体の一部」がうまく動かないことに苛立ちを覚えるような感覚が出てくるのかもしれません。
また男性は言葉をそのまま捉えて真剣に受け止めすぎる傾向があるように思います。女性は「いつも」という表現を強調の意味で使っているだけなのに、男性は「本当にいつもか?」と反論してしまう。ここにすれ違いが生まれます。男性は客観的な事実を確認しないと話が進まないのに対し、女性はまず気持ちをわかってもらうことを優先します。スタート地点が違うからこそ、まずは「相手がどの競技をしているのか」を理解することが必要なのかもしれません。
NLP的補足:削除・歪曲・一般化がすれ違いを生む
言葉にするとき、どうしてもある種の現象が起きます。NLPにおいては、それを「削除・歪曲・一般化」と呼び、メタモデルという考え方で整理しています。
例えば「削除」は、省略とも言えますが、言葉ではすべての情報を伝えきれないために起こります。私が回答で使った「男性」という言葉は、全ての男性を包括できていない例です。
また「いつも」という表現は一般化の典型例です。実際には一部の出来事でも「いつもそう」とまとめてしまうことで、認識のずれが生まれます。その結果、同じものを見ているつもりでも、違う前提で話が進んでしまい、すれ違いが広がることになります。
この3つの現象に対して質問をしたり「本当にそうだろうか?」と確かめていくことで、話をより建設的に進めることができるのです。
まとめと読者へのメッセージ
夫婦の会話で一番大事なのは、どちらが正しいかではなく「どう受け止めているか」を理解し合うことかもしれません。平等性を厳密に求めると、必ずズレや摩擦が生まれます。その前に「相手の気持ちを受け止める」という土台を置くことが、すれ違いを防ぐ第一歩になりそうです。
もし今、同じように疲弊している方がいたら「頑張っているのに分かってもらえない」という思いを一人で抱え込まないでください。言葉の裏にある本当の気持ちに触れる工夫が、きっと関係を変えていくきっかけになるはずです。
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