
- タイトル:生殖記
- 著者名:朝井 リョウ
- 出版社:小学館
あらすじ:
とある家電メーカー総務部勤務の尚成は、同僚と二個体で新宿の量販店に来ています。
体組成計を買うため――ではなく、寿命を効率よく消費するために。
この本は、そんなヒトのオス個体に宿る◯◯目線の、おそらく誰も読んだことのない文字列の集積です。
成長するのは、いいことだとされている
子どもは成長するものだし、その姿を見るのが親の幸せだと言われる。
仕事も勉強も、成長しているかどうかで語られる。
研修も評価も、前提として「人は成長すべき存在」として設計されている。
それに疑問を挟む余地は、あまり用意されていない気がする。
成長しないままは停滞で、停滞はどこか悪いものだ。
少なくとも、そう扱われる場面は多い。
だから多くの人は、成長しているふりをしたり、目標を掲げたりする。
それが大人の振る舞いだと、なんとなく思わされている。
でも、成長しなくてもよくないかと思った
この本を読んでいて、ずっと引っかかっていたのはそこだった。
成長することが、そこまで大事なことなのか。
成長していない状態は、そんなに否定されるものなのか。
正直、前から思っていた違和感が、言葉として現れた感じがした。
自分は、成長したくて子育てしているわけではない。
英語も、成長のためというより、ただ好きでやっている。
仕事も、成長のためというより、やる部分とやらねばならない部分があるだけだ。
それでも社会の文脈では、すべて「成長」に回収されていく。
それが気持ち悪いと感じた理由
成長という言葉は便利だ。
目的を問わずに、行為を正当化できる。
でもその便利さの裏で、「今のまま」が切り捨てられている気がした。
何も変わらない時間は、価値がないように扱われる。
この作品の主人公は、社会の前提から少し外れている。
だからこそ、その前提がくっきり見えてしまう。
人は増えるべきだとか、役に立つべきだとか、成長すべきだとか。
それらが無意識の規範として置かれていることに、気づかされる。
とはいえ、成長を否定したいわけでもない
成長を見るのが嬉しい、という感覚も分かる。
子どもの変化に感動することもある。
仕事でできることが増えるのは、悪いことではない。
それを全部否定する気は、正直ない。
成長を目標にして頑張る人を否定したいわけでもない。
そうしたい人がいるのは自然だと思う。
ただ、それしか選択肢がないように扱われるのは、少し息苦しい。
そこに違和感が残る。
それでも、成長が前提なのは引っかかる
成長したいからやる、ではなく。
やっていたら、結果として変わっただけ。
その順番が、いつの間にか逆転している気がする。
成長しない時間が、無駄として扱われてしまう。
主人公の語りは、どこか屁理屈めいている。
でも、その屁理屈を笑い飛ばす側のほうが、前提を疑っていない。
考えすぎだと切り捨てることで、安心しているようにも見える。
その構図が、少し怖かった。
成長しなくてもいい、とは言い切れないまま
成長しなくてもいい、と大声では言えない。
自分もまだ、その勇気はない。
でも、成長していなくても、ここにいていいんじゃないか。
そんな気持ちは、確かに残った。
成長するかどうかより、
今、何を感じて、何をしているのか。
それを急いで意味づけしなくてもいいのかもしれない。
この本を読み終えて、そんな沈黙が残っている。





