恋とか愛とかやさしさなら

  • 著者:一穂ミチ 
  • 恋とか愛とかやさしさなら Kindle版
  • 出版社:小学館

あらすじ:プロポーズの翌日、恋人が盗撮で捕まった。

カメラマンの新夏は啓久と交際5年。東京駅の前でプロポーズしてくれた翌日、啓久が通勤中に女子高生を盗撮したことで、ふたりの関係は一変する。「二度としない」と誓う啓久とやり直せるか、葛藤する新夏。啓久が“出来心”で犯した罪は周囲の人々を巻き込み、思わぬ波紋を巻き起こしていく。

信じるとは、許すとは、愛するとは。

男と女の欲望のブラックボックスに迫る、
著者新境地となる恋愛小説。

目次

「これは他人事じゃない」と思ってしまう怖さ

性犯罪を扱った小説を読むとき、普通は「ひどい話だ」と思って終わる。加害者を非難し、被害者に同情し、そして本を閉じる。それが健全で、正しい読み方だと思う。

でも『恋とか愛とか優しさなら』を読んだとき、私は少し違う感覚を覚えた。

「これは、自分にも起こりうることかもしれない」と。

好奇心と衝動の境界線

主人公は結婚式前日、駅のホームで女性のスカート内を盗撮して逮捕される。出来心でもなく、計画的でもなく、ただ「やったらどうなるんだろう」という好奇心に近い何かに引っ張られるように。

この感覚を、男性なら少しは理解できるんじゃないかと思う。

実行するかどうかは別として、ふとした瞬間に「もしこれをやったらどうなるだろう」と頭をよぎることがある。それは欲望というより、ほとんど思考実験に近い。酔っていたらやってしまいそう、というレベルですらない。絶対にやらないという自信もありつつ、でも興味だけはある。そういう境界線の揺らぎ。

この小説は、その「揺らぎ」をリアルに描いている。

法律では測れない代償

盗撮の刑罰は、法律上はそれほど重くないのかもしれない。でも実際に失うものは、想像をはるかに超える。

婚約者との関係、職場での立場、家族からの信頼、そして自分自身の尊厳。すべてが一瞬で崩れ落ちる。この小説は、その「崩れ落ち方」をえげつないほどリアルに描写している。読んでいて息苦しくなるほどに。

「なぜやってはいけないのか」の答えが、ここにはっきりと書かれている。

それは道徳や倫理の問題ではなく、もっと生々しい、人生そのものが壊れていく過程として。

でも、やり直せない社会でいいのか

一方で、私はこうも思った。

日本は、一度過ちを犯した人に対して厳しすぎるんじゃないかと。

もちろん、盗撮は許されない行為だ。被害者がいて、傷つく人がいる。それは間違いない。でも、だからといって、一度の過ちで人生が完全に終わってしまう社会が正しいのかと言われると、私にはわからない。

反省して、償って、それでもやり直せない。そんな構造が、本当に犯罪を減らすのだろうか。むしろ、追い詰められた人がさらに追い詰められるだけなんじゃないか。

厳罰化と再生のあいだ

「いや、でも被害者のことを考えたら、甘いことは言えないでしょ」と言われそうだ。

それはそうだと思う。被害者が一番つらいのは当然で、加害者の更生よりも被害者のケアが優先されるべきだとも思う。

でも、それと「やり直せる制度や雰囲気が必要だ」という話は、矛盾しないんじゃないかとも思う。

厳罰化だけでは、何も解決しない気がする。

結局、どうしたらいいのかはわからない

私には答えがない。

盗撮をした人をどう扱うべきか、社会がどうあるべきか、正解なんてわからない。

ただ、この小説を読んで思ったのは、「他人事じゃない」ということと、「やり直せない社会って、誰にとっても息苦しいよな」ということだけだ。

正しさを語るつもりはない。

ただ、この違和感を、そのまま置いておきたいと思った。

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