コンビニ人間

あらすじ:「普通」とは何か?
現代の実存を軽やかに問う第155回芥川賞受賞作

36歳未婚、彼氏なし。コンビニのバイト歴18年目の古倉恵子。
日々コンビニ食を食べ、夢の中でもレジを打ち、
「店員」でいるときのみ世界の歯車になれる――。

「いらっしゃいませー!!」
お客様がたてる音に負けじと、今日も声を張り上げる。

ある日、婚活目的の新入り男性・白羽がやってきて、
そんなコンビニ的生き方は恥ずかしい、と突きつけられるが……。

目次

多数派の「良かれ」が、誰かの息を止めている

結婚して、子どもを産んで、正社員として働いて。
それが「普通」で「幸せ」で「まとも」だと、私たちはどこかで信じている。
そこから外れた生き方をしている人に対して、つい「なんで?」と聞いてしまう。

悪気はない。むしろ心配している。
でも、その「なんで?」の裏には、「それは変だよ」というメッセージが透けて見える。

村田沙耶香の『コンビニ人間』を読んで、私が最初に感じたのは「この主人公、ちょっとおかしいな」だった。
30代後半でコンビニのアルバイト。結婚の予定もない。周囲の目を気にして、偽の「彼氏」まで作ろうとする。
自分の意思がない。流されている。子どもにはこうなってほしくない――そう思った。

でも読み進めるうちに、気づいた。
私は無意識に、「多数派の正しさ」を振りかざしていた。

「普通」という名の暴力

主人公は、何度も問われる。
「なんでコンビニなの?」
「なんで結婚しないの?」
「なんで子どもいないの?」

質問する側には悪意がない。
むしろ、相手のことを気にかけているつもりだ。

でも、その質問の前提には、こんな考えがある。
「40歳でフリーターなんて、何か事情があるはず」
「結婚していないのは、何か問題があるはず」
「子どもがいないのは、何か理由があるはず」

逆に、結婚していて、子どもがいて、専業主婦なら?
誰も「なんで専業主婦なんですか?」とは聞かない。
それは「普通」だから。

この「普通」が、誰かにとっては息苦しさになっている。

私も、押し付けていたかもしれない

この本を読んで、正直ドキッとした。

私は、子どもたちに「自分で考えなさい」と言ってきた。
「周りに流されるな」とも言ってきた。
でも同時に、「結婚はいいものだよ」「子どもを持つって素敵だよ」とも言っている。

それって、押し付けじゃないのか?

もちろん、結婚も子育ても、私にとっては本当に大切なものだ。
でもそれは、「私にとって」の話であって、全員にとっての正解ではない。

「良かれと思って」伝えていることが、誰かを追い詰めているかもしれない。
そう思うと、少し怖くなった。

多数派だから、正しいわけじゃない

村田沙耶香の作品は、いつも形容しがたい読後感を残す。
「これ、どう受け取ればいいんだろう」と、頭の中がざわつく。

『コンビニ人間』も、そうだった。
最後まで読んでも、スッキリしない。
むしろ、もやもやが残る。

でもそれは、私が「多数派の価値観」を疑わずに生きてきたからだと思う。

多数派だからといって、正しいわけじゃない。
少数派だからといって、間違っているわけでもない。

大事なのは、その人が「それでいい」と思って生きているかどうか、だけなんじゃないか。

かと言って、無関心でいいわけでもない

でも、こうも思う。
「じゃあ、何も言わない方がいいのか?」と。

誰かが悩んでいるように見えたとき、声をかけるのは優しさだ。
「大丈夫?」と聞くのは、関心の表れだ。

ただ、その言葉の裏に、「私の価値観が正しい」という前提があるなら、それは暴力になる。

難しいのは、その境界線が曖昧なことだ。
どこからが「思いやり」で、どこからが「押し付け」なのか。
明確な答えはない。

それでも、問い続けたい

『コンビニ人間』を読んで、私は変わった。
いや、変わったというより、揺れた。

「これが普通」と思っていたことが、本当にそうなのか?
「良かれと思って」言っている言葉が、誰かを傷つけていないか?

答えは出ない。
でも、問い続けることはできる。

子どもたちに「自分で考えなさい」と言うなら、私もまず、自分の「普通」を疑ってみる。
それが、せめてもの誠実さなんじゃないか。

多数派の意見が、いつも正しいわけじゃない。
そのことを、忘れないようにしたい。

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